どうもぜーたです。
最近、夢について話したり、将来的に何がしたいのかを考えることが増えてきました。最近では、友人が結婚したり、子供が産まれたりと、おめでたい話が沢山くるので嬉しく感じると共に
「もうそんな歳かー」
そんな言葉をよく耳にします。つまり、この年齢の時はこうあるべきだっていう固定観念が自分にも刷り込まれているなぁ。と思うんですよね。
なんなら、【こうあるべき〉こうなりたい】になっている気がします。ぼくも25歳になったら子供がいるかも知れないとか思ってたし、もっと立派な大人になっていると思っていました。親にもいつ結婚するんだろうねぇとか言われるし。
なんでそうなったんでしょうか。
周りの期待に応えようとしてきた人生だった
思い返すと、ずっと昔からです。
学校以外で塾に通うのも、いい大学に入って親の期待に応えたいという気持ちだったし、友達にすごいとか楽しそうとか思ってもらいたいからSNSに何かしら投稿してきたし、仕事も、自分の為にしているというよりは、4年間大学に通わせてもらった親に悪いとか、そんな感情が大きいです。
そうすると、自分が何がしたいのかが分からなくなってきてしまうと思うんです。だって、周りの期待に依存して、やるべきことをするだけってすごく楽だから。しかも、自分が何をしたいかを知る方法も教わっていません。
口では「やりたいことをしたい。」というのは簡単でも、20年間周りの期待に応えることを目標に生きてきたぼくは周りの期待に依存し、安心し、それでいいと言い聞かせてきたと思います。
自分独自のかっこよさよりも、みんなと同じがいい
幼稚園や小学校では、みんなで同じ授業を受けて、同じ回答用紙を記入して、同じ服を着ていました。
つまり全部同じなんですよね。ぼくは一度だけみんなと同じの手さげ袋を忘れて、親に別のモノを渡されたのですが、人と違うことがすごく恥ずかしくて、学校に行きたくありませんでした。
親には
「みんなが持っているものを買って欲しい!」
とねだり、みんなと一緒のことで安心していました。
そんな中、クラスの女の子が1人お兄ちゃんの黒いランドセルを持って来ていました。ぼくはなんでその子は黒いランドセルを持ってるんだろうと気になり、
「なんで女子は赤いランドセルなのに黒いランドセルを持っているの?」
と聞いてみたんです。すると
「黒の方がカッコええやん」
と、本当に自信満々に答えてくれたのを今でも鮮明に思い出します。その子は常にクラスの中心で、男女から人気がありました。(中学から少しヤンキーになりましたが笑)本当にいいやつでした。
ぼくはというと小中学高校と、同じように進んで、みんなが大学に行くから大学に行きました。群れて生活し、1人になることが怖かったので、スマホにもラインにも凄く依存しました。そんな自分がいやでスマホを見ることも減らしましたし、どこにも属さずに過ごせる力が欲しいと感じるようになりました。
周りの人が期待している自分を演じず、自分のまま生きることは、勇気がいることです。時に衝突し、良く思われないこともあるかもしれません。それでもぼくは、小学校の時に同級生が言ってくれた
「黒の方がカッコええやん」
を、はっきりと言える大人になりたいなと思います。